「商店街」と「まちづくり」

長崎新聞のコラム「うず潮」2000.5.29.(第1回)


島原は今、
「あの噴火から十年、おかげさまで元気になりました。来てみんね島原半島。」と復興をアピールしています。
観光が主要産業の島原としては少々背伸びをしても元気なそぶりを見せなきゃならんのです。

森岳(もりたけ)商店街といえば、
島原城(森岳城)と島原駅の間にあって、その昔島原半島一の繁華街だったそうですが、
昭和三十年代頃から鉄道は車に取って代わられ、近代化にも乗り遅れジワジワ寂れておりました。

そんな矢先にあの噴火に遭遇し壊滅的な状況に追い込まれました。 

連日火砕流の降灰に見舞われ、店先の降灰を流すのが日課になりました。
泥雨に立往生する車のフロントガラスに水をかけてあげました。
困ったときはお互い様で、人として当たり前のことなのに、
マスコミは「災害にめげず人情味を忘れない商店主たち」と報道してくれました。

ほめられた私たちは図に乗って、ちょっと背伸びして、商店街の活性化を考え始めました。
(このままじゃ店も街もダメになるという危機感が私たちを後押ししました。)

不足業種は数知れず。
交差点のカドごとに鎮座する猿田彦大神(道祖神)。
商店の連続性を断ち切る住宅の生垣。
足の不自由な老人がひょっこり出てくる。車もおちおち走れない。

これでも商店街か?! 

郊外大型店があの手この手で買い物空間を演出して攻めてくる。
金がないから、施設整備どころか、チラシも折り込めない。

開き直った私たちは、街なかに、縁台を並べお年寄りに提供し、
私たち自らも縁台に座り交流をはかりました。

武器は「おはよう」「こんにちは」と元気な笑顔だけ。
買い物は二の次三の次。

森岳を歩いた人が『心ゆたかな時間』を過ごしてくれればそれでいい。
気がついたら私たちは「商店街」を買い物空間ではなくて「まち」としてとらえていました。

商店街の婦人たちが街角に野の花を飾ってくれて、いい感じです。
当分私たちのヤセ我慢は続くでしょう。

島原は元気です!


         松坂昌應(まつさかまさおう) 島原/森岳商店街事務局



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