長崎新聞のコラム「うず潮」2001.1.23.(第7回)
森岳商店街の一角に大正時代の洋館を保存整備して
まちづくりの拠点「青い理髪舘」を立ち上げました。
車椅子も使える公衆トイレを併設した観光案内所と喫茶コーナー、
二階のホールは文化情報の発信源に位置づけています。
新年になって近所の小学生を理髪舘ホールに集めてカルタ大会を実施しました。
使用したカルタが「島原ふるさといろはカルタ」であります。
このカルタ、島原を愛する二人のおじさん(榊原武之、松尾卓次両氏)の合作で、
子供たちに楽しみながら郷土史を覚えて貰いたいという情熱のこもったもの。
元気に札を取り合った子供たちにひとつでもふるさと再発見があれば幸いです。
「い」を飛ばしてまず「ろ」。
元祖いろはカルタでは、
上方で「論語読みの論語知らず」に対して、
江戸では「論より証拠」、
島原版は「論より証拠、腑分けは市川泰朴さん」と、元祖いろはカルタもふまえて、
郷土の偉大なお医者さんを紹介しています。
有名な杉田玄白・前野良沢と同時期に人体解剖に挑んだ科学者が
島原のこの理髪舘のすぐ筋向かいに住んでいたのであります。
さて「い」。「維新の火をつけて輝く丸山作楽」。
いつ頃から島原はこんなにも保守的になってしまったのだろうか。
島原の先人には、薩長にも負けず劣らず将来を見つめ世を憂えた志士たちもいたのに。
平成維新といわれる激動の現代、国や県が動く前に腰を上げ行動する島原でありたいものです。
江戸カルタ「犬も歩けば棒に当たる」には二つの解釈があります。
行動すれば思わぬ災難にあう/行動すれば思わぬ幸運にあう。
上方カルタでは「一寸先は闇」というわけで、
おそらく前者「災難にあう」が当時の世相であろうと、
絵札に描かれたしかめっ面の犬を見て解釈する学者もいます。
出口の見えない不況、訳の分からぬ事件ばかり、世はまさに三センチ先は闇のようです。
だからといってじっとしていても始まりません。
「幸運にであう」ことを信じて、行動するしかないでしょう。
さあ二十一世紀だ。
松坂昌應/島原/森岳商店街事務局