「無いことの証明」

長崎新聞のコラム「うず潮」2001.2.28.(第8回)


「近頃の若いモンは……」が、出始めたら要注意です。
「……」の部分は打ち消し表現です。
「近頃の若いモンはありがとうの言い方も知らん。」てな具合。
私も、もう若くないので、あちこちで近頃の若いモン論議に巻き込まれます。

自分がしゃべる時は言いたい放題ですが、聞き役に回って冷静になると、
ちょっと違うような気がします。

夢中になって論議している脇を近所の若者が「こんにちは」と一声かけて通り過ぎたのに、
「今通り過ぎた○○は、俺たちに気付いていながら挨拶もしなかった。」と言うに及んで、
さすがに○○君が気の毒になって、
「彼はちゃんと挨拶しましたよ、話に夢中で気付かなかったんですよ。」とたしなめると、
「おやそうか、とにかく若いモンが挨拶しないのはそもそも感謝の念が足りないのだ……」
などとお構いなしです。

賢明な読者諸氏は、この手合いの年寄りが、
若い頃も今も感謝の念など持ち合わせていないことはよくご存知のことと思います。
迷惑なのは、有ることまで無いことにされてしまうことです。

考えてみると「無いこと」の証明はむずかしい。
日本一の辞書といわれる『大言海』に台所に無くてはならない「やかん」が載っていないのは、
女性の立場を軽視しているからだと言われてナルホドと感心していると、
昔の辞書なので「やくわん」で載っていたりします。

「無いこと」で「無いこと」を証明するに至ってはほとんど無謀としか言いようがありません。
「駐車場が無い」から「商店街に客がこない」と言われても誰も納得しません。

私たちの森岳商店街は不足業種も多く、アーケードもカラー舗装もありません。
無いものだらけの中に言い訳を見つけても始まりません。
湧水の流れる古い街並みと青空が有ります。

「有ること」を積み重ねて、そこに(目には見えないけれども)
「心ゆたかな時間」が有ることを証明したいものです。
まずは「有るもの」をじっくり見て、大切にすることから始めたいと思います。


   松坂昌應/島原/森岳商店街事務局


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