「道はだれのもの」

長崎新聞のコラム「うず潮」2001.4.29.(第9回)


道はだれのもの。
もちろん道はみんなのものであります。みんなのもの即ち「公」のものであります。

ところで「道」はどれもみんな同じかというとそうではありません。
自分の家や職場の前の「道」だけは特別なのです。
なぜなら私たちは「道」がなければ自分の家に入れないのであります。
だから私たちは特に自分の家や職場の前の道は「自分の道」として大切にしなければなりません。

お向かいとの間の道のちょうど真ん中よりちょこっとはみ出して掃除をするのが常識であります。
みんなのもの(公のもの)とは、そういうものです。

みんなの道だから、その維持管理は役所がやります。
そこで時々何を勘違いしたか、自分の家の前の道が汚いといって、
役所に電話する人がいます。
車にはねられた動物のむごい姿を目にすることがあります。
確かにこれは手に負えません。でもせめて道路の端に寄せて電話するのが常識だと思います。
自分で出来ることは自分でしなければ税金はいくらあっても足りません。

ここまで来て、考え込んでしまいます。
かわいそうな動物を道路の端に寄せようとして、道路脇のゴミを掃除していて、
車にはねられたらバカバカしいな。と。
僕の考えていた常識は揺らぎつつあります。

バイパスと呼ばれる道があります。いわゆる車が通り抜けるだけの道であります。
通過車両には時間短縮になるでしょうが、道に面した人たちにとっては
交通事故の危険性だけが増える迷惑な道であります。
ここまで来ると、一概に「道はみんなのもの」なんて悠長なことは言えなくなってしまいます。

島原に眉山ロードという、だれも住んでいない処に、
島原市内から雲仙方面に抜ける近道ではなく、
単に平成新山に最接近できるというだけの遠回りの道が出来ています。
この道はだれの(何の)ための道なのでしょう。
子どもを車に奪われたイタチやタヌキのためでなかったことだけは確かです。


   松坂昌應/島原/森岳商店街事務局


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