島原新聞

2002.6.18.〜6/22

島原半島市町村合併に思う

東京 田代則春 氏

6/18(一) 6/19(二) 6/20(三) 6/21(四) 6/22(五)

市町村合併


故郷島原半島でも、最近、一段と現実味を共に
混迷の度を深くしつつあるように感じられます。

「市町村の合併の特例に関する法律」での期限は
平成17年3月31日までであり、
残された時間は刻々と迫っているからでありましょう。

島原半島では、
何故、島原半島全体が一体となった合併が必要であるのか
そもそも
合併はどうあるべきかと言った
合併の理念や将来的展望が十分でないまま
現実(の利害)に振り回されている
というのが
実態ではないでしょうか。

私が入手した最新情報によると、
現実的には
「島原圏」(島原市、有明町、深江町、布津町、有家町、西有家町)
「国見・瑞穂圏」(国見町、瑞穂町、吾妻町、愛野町、千々石町)
「北有馬・南有馬圏」(北有馬町、南有馬町、口の津町、加津佐町、南串山町、小浜町)
の3つに合併される案が有力(但し、全体としては、なお流動的なようである)のようです。

平成12年度の国勢調査の結果をもとに
試みに前記3つの「圏」の人口を算出してみますと
「島原圏」は、約8万2696人
「国見・瑞穂圏」は、3万5864人、そして
「北有馬・南有馬圏」は、4万2278人となっております。

私は、
こうのような
島原半島が3つ(あるいはそれ以上)に分割・合併される案については、
率直に言って
賛成できません

極端な言い方かもしれませんが、
島原半島が名実共に一体とならない限り、
島原半島全体としてみた場合、残念ながら、
経済的にも、文化的にも、発展する可能性は薄く、
今後は衰退の一途をたどり、
かっての活気に満ちた島原半島は永遠に戻ってこない可能性が
大きいのではないかと危惧しております。

島原圏以外の町の町長等、為政者の中から、
現実論を武器にして
島原半島を一体化する理念も、行動意欲
徐々に薄れつつあるのではないかと考え、残念に思っております。

言葉は悪いが、駆け込み合併も可能ではあります。
「市町村の合併の特例に関する法律」5条の2は
「市となるべき普通地方公共団体の人口に関する要件は、4万以上とする」
との規定がみられます。

しかし、附則2条の2に、市となるべき要件の特例として
平成16年3月31日までに市町村の合併が行われた場合に限り、
 ”人口に関する要件は、4万以上”とあるのは
 ”要件は
3万以上を有すること”とする」と規定されています。

これらの規定からしますと
「北有馬・南有馬圏」は、人口が4万人を突破しているので、
長崎県から「市」と認定して貰える可能性があります。
また
「国見・瑞穂圏」も、合計人口は3万人を越えておりますので、
平成16年3月31日までに合併が行われていた場合には、
「市」と認定される可能性があります。

仮に
「国見・瑞穂圏」が早急に合併の努力をしますと、
島原半島に3つの「市」が誕生し、
島原半島は3つに分割されることになるでしょう。

分割合併の協議が旨くいかないと、
2つの「市」と2つ程度の新しい「町」に分割合併される可能性もあります。

3つの分割合併が現実的だと考える人達は、
「それは段階的であって、将来的には島原半島は一つになればよい」
とも言っているようです。

しかし、私から言わせて貰うと、
これは気休めに過ぎません
いったん合併し、人的・物的設備を整えてからの
再度の合併は、
今の時期の合併より数倍の困難を伴うでしょう。

実現するとしても20〜30年、50年先の話ではないでしょうか。

将来的には島原半島は一つというのが望ましいというのであれば、
そうして
「市町村の合併の特例に関する法律」のタイムリミットである
平成17年3月31日までに、
島原半島全体を一体とした広域合併に踏み切れないのですか?

何故?
「国見・瑞穂圏」はタイムリミットを1年早めてまでも
自分達のところだけでこじんまりとした人口4万人にも満たない「市」を
作ろうとするのでしょうか?

「将来は、島原半島全体の一本化を目指す」というのは、
問題の先送りに過ぎず、敢えて誤解を恐れず言わせて貰えれば
気休め、誤魔化しでしかないのではないでしょうか。


(二)へ続く

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